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本作が映画初監督となりますが、それまでの経歴を教えてください。
坂田監督:大学を卒業してTBSに入社しました。入社後は制作を担当し、27、8歳の時に細木数子さんの「ズバリ言うわよ!」という番組で約3年半、総合演出をしていました。その後、番組の企画や選定などをする編成の部署に異動して4年半在籍しました。自ら編集はしないものの、5つくらいの番組を担当していて、その中の一つが「マツコの知らない世界」。その後、制作に戻り、「マツコの知らない世界」が深夜番組から、2014年にゴールデンタイムへ昇格する時に僕が総合演出を担当することになりました。
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華々しいTVでの活躍を経て、映画を撮るまでの経緯をお聞かせください。
坂田監督:「ズバリ言うわよ!」で総合演出として責任者という立場になり、番組をヒットさせることに成功しました。番組を離れて、もう一度ヒット番組を作りたいという強い思いがあって、38、9歳頃に総合演出として担当した「マツコの知らない世界」がヒットして目標を達成しました。そこで、やれることは全てやったという気持ちになったんですね。僕は番組内容や構成を考えたり、編集をするのがすごく好きなので、「マツコの知らない世界」でも視聴者を飽きさせないように技術を磨いてきました。視聴率も良く、企業からの反響も良かったですし、その場にいるのはすごく心地が良いものでした。ですが、何かに挑戦しているときの方がワクワクするタイプの人間なので、次第にその心地良さから飛び出してみたい気持ちが強くなっていきました。元々、チャレンジ精神が強く、新しいジャンルを開拓して成長していないと不安になるんです。世の中に面白い人はたくさんいますし、YouTubeや映画、広告などの映像業界で活躍している人が全員ライバルに見えるんですね(笑)。誰よりも速く色んなことをやったという実績と自信が欲しかった。そんなモヤモヤした思いを抱えていた時に、お相撲の朝稽古を初めて生で見て、こんな世界があるんだと衝撃を受けました。そしてすぐに本作でプロデューサーを務めている下條と一緒に、2018年の五月場所を両国国技館に見に行って、その時にはもう映画化しようと考えていました。下條は不安がっていましたけど(笑)。そもそもの始まりは「マツコの知らない世界」で2017年に琴剣さんがゲストで出演してくださった“相撲メシ”の回を担当していた下條に「お相撲の朝稽古が見たい」とお願いして、佐渡ケ嶽部屋の朝稽古を見せてもらったことがきっかけです。
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どうして朝稽古を見ようと思われたのですか?
坂田監督:元々格闘技が好きなんですが、色々なジャンルがある中で、力士が一番強くて“相撲最強説”というのが格闘技好きの中では言われているんです。それで朝稽古を見に行きたいなと思って、実際にあの激しいやりとりを見た時に、素直にすごいなと刺激を受けました。両国国技館で取組を見てみると、本当に違うんです。人と人の肌がぶつかり合う音、番狂わせが起きた時には大歓声が沸き上がって、会場全体が大興奮で盛り上がる、何とも言えない雰囲気を体感した時に、これは絶対に映像に残さなければと思いました。
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「大相撲」をTVではなく映画として残そうと思ったのはなぜですか?
坂田監督:TVではすでにやっていましたし、挑戦するなら映画だなと考えました。
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参考にした作品などはありましたか?
坂田監督:ドキュメンタリー映画で参考にしたのは、マイケル・ムーア監督の作品やデヴィッド・ゲルブ監督の『二郎は鮨の夢を見る』(11)。日本のドキュメンタリー映画は、カメラを回し続けて、撮れた結果で編集していくやり方が多いなと思っていました。でもマイケル・ムーア監督の『ボウリング・フォー・コロンバイン』(02)や『シッコ』(07)、デヴィッド・ゲルブ監督の『二郎は鮨の夢を見る』は、恐らく、構成を想定し、自分が撮りたい映像を考えてからロケに行くからあのような作品が出来上がるんだと思います。そこにたどり着くまでに、何を撮影したら良いのかを考えている。ドキュメンタリーは、自分でちゃんと取材して、描きたい対象の真実を撮り、見せたいものはここだというのを明確に見せるものだと思っています。朝稽古と本場所を見て自分の描きたいものが決まったので、最終的な“勝つか負けるか”のゴールに向けて、どの部屋の誰を取材するのかというのを決めて、そこが魅力的であれば、しっかり描けるなという自信はありました。
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映画を制作するにあたって、相談した方などはいましたか?
坂田監督:特に相談した方はいません。ただ映画が世の中に出ていく仕組みが分からなかったので、TBSの近くに協同組合日本映画製作者協会があり、義父がその協会の方と知り合いだったので、映画を世に出すにはどうしたら良いのか聞きに行きました。
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会社員(しかも忙しいTV局員)でありながら、映画監督を並行してというのは、非常に難しかったのではないでしょうか?
坂田監督:「マツコの知らない世界」を離れて、一度充電してまた色々なチャレンジがしたいと会社に相談をしました。その後、今の部署に異動し、理解ある上司や同期の支えもあり、彼らのおかげでしっかりと映画に向き合えたと思います。
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映画を作ることが決まり、資金のめどもついて、あとはスタッフはどのような組成で臨まれたのでしょうか?
坂田監督:相撲協会とのやりとりに関しては琴剣さんに相談しました。プロデューサーを務める下條と林の2人は「マツコの知らない世界」を一緒に担当していた時から、すごく信頼を置いていたのでお願いしました。技術に関しては繋がりのあったcountry officeさんにスタッフィングを相談しました。また映画とTVでは映像の質感が全く違い、『二郎は鮨の夢を見る』のような映像を撮りたかったのですごく研究しましたね。元々海外での上映を目指し、両国国技館の疑似空間を作りたいという思いから、音にもこだわりたいなと考えていました。これも偶然だったのですが、初めにこの映画の配給を相談した東映さんから「そういうことなら」とドルビーアトモスさんを紹介して頂き、とんとん拍子で話が進み、音響は染谷和孝さんという日本のドルビーアトモスの第一人者の方にお願いすることが出来ました。不思議な巡りあわせで繋がっていき、スタッフが決まりましたね。これはもう撮るしかないなと…(笑)今回はアシスタントやドライバーもいないんです。なので自分の車でスタッフを迎えに行ったり、そういったことを改めて一から自分で出来たことはとても新鮮でした。
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境川部屋と髙田川部屋を選んだ理由を教えてください。
坂田監督:琴剣さんとお話したときに初めに紹介して頂いたのが、“古き良き相撲部屋”と言われる境川部屋でした。相撲という文化を多角的に撮影するにあたって二つの部屋を描きたくて、境川部屋は礼儀や上下関係といった日本の伝統的な文化が色濃く、一般的にイメージする相撲の極地が撮れるなと感じました。その後、髙田川部屋を紹介して頂き、境川部屋とまた違った新しい文化を見て、直感で決めました。力士自身に考えさせたり任せたりする部分など、すごく今っぽいなと思いましたね。あとはこの中でやりたいことを選択して撮影するだけだなと思いました。
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撮影が12月末からということですが、どちらの部屋を先に撮影したのでしょうか?
坂田監督:境川部屋です。2018年の福岡で行われた11月場所で1か月ほど取材をして、12月末から撮影をスタートさせ、1月場所を終えた後に改めてインタビューをさせて頂きました。
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実際に密着してみて、境川部屋への印象はいかがでしたか?
坂田監督:初めはなかなか受け入れてもらえないような空気だったのですが、取材を進めていく中で、相撲の素晴らしさを本気で伝えたいという気持ちで接していくと、次第に受け入れてくれるようになりました。おこがましいですが、最終的には境川親方が仲間として考えてくれていたように感じました。
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武隈親方(元大関豪栄道)の印象はいかがでしたか?
坂田監督:あまり喋らない方というイメージでしたが、実際にはそんなことはありませんでした。きっと自分の中で哲学がしっかりとある方なんだと思います。それとすごく純粋で、どこか少年っぽさもある方なんだなという印象です。
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髙田川部屋に密着した期間と、印象はいかがでしたか?
坂田監督:2019年3月の大阪場所の頃に3週間ほど取材をして、朝稽古を見て一緒にちゃんこを食べました。髙田川親方の話って、心に深くささるんです。それはインタビューだけでなく、稽古中や稽古後に力士に対してかける言葉も、ご本人も相当勉強をされているんだろうなというのが伝わるほどです。僕が「お話が大変お上手ですね」というお話をしたら、おかみさんがオリンピック選手も親方の言葉を聞いて、泣かれることがあるんですよと教えてくれました。本編全体を通じて心に響く言葉を随所にちりばめるように構成しているのですが、特に髙田川親方の言葉は強いなと思っています。境川親方も髙田川親方も共通して話していたのは、力士たちの頑張りをしっかり取り上げて欲しいと言うことでした。
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竜電関の印象はいかがでしたか?
坂田監督:竜電関はずっと明るくて笑顔が印象的でした。それと良い意味での普通、それが彼にとって揺らがないこと。どんな状況でも常にフラットでいることが強さだと考えているのだと思いました。
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本編を拝見して驚いたのが朝稽古の様子でした。恐怖すら感じるほどの激しいぶつかりあいの数々、そのシーンは絶対撮るという決意のもと撮影されたんでしょうか?
坂田監督:そうですね。撮影するときに大切にしたのは、自分がピュアでいないといけないと言うこと。もちろん取材をした上で撮影を始めたので知ってはいるのですが、取材の時に純粋にすごいと思ったことをちゃんと描かないと面白くならないなと思いました。いつも相撲を取材している方からみたら、朝稽古の様子ひとつをとっても当たり前の光景だと思うのですが、それは当たり前じゃないんだ、という風に撮りたかったんです。湯気はまるで力士のオーラのように見えるし、激しいぶつかり合いや申し合い稽古も新鮮だったので、そこはしっかり描きたいと考えていました。それがきっと“相撲の文化を撮る”ということに繋がるんだと思います。
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通常のドキュメンタリーというよりは、何かストーリーがあるように感じました。
坂田監督:それは撮りたいものをあらかじめ決めて撮っていることと、仮台本を作っていたからだと思います。カメラマンには、この日に撮るのはここを狙ってほしいと具体的かつ正確な指示を出していました。武隈親方(元大関豪栄道)の登場シーンも、四股を踏んでいる足がかっこいいなと思っていたので、そこを狙って欲しいとお願いしていました。まさにゴジラが登場するイメージに近いですね!土俵が出来上がっていくシーンは、こういうリズムで撮りたい、スローの演出をかけたいということを話しておいて、それを形にしています。また、お客さんが周りを囲み、力士たちが両国国技館に入っていく様子がランウェイのように見えたので、カメラもズーム多めにしてほしいと指示を出しました。
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相撲の歴史を語るシーンでは琴剣さんのアニメーションも入っていて、すごく面白かったのですが、それも元々描こうと思っていたのですか?
坂田監督:そうですね。歴史を普通に語ったら難しいじゃないですか。お相撲を見た人が満足できるラインと、お相撲を見たことがない人が入ってこれるラインがあると思うんです。そのギリギリのところを作ろうと思いました。お相撲の歴史を最短で分かりやすく伝えることが出来るのは、アニメーションだなと考えました。
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ナレーションの遠藤憲一さんは初めから決めていたのでしょうか?
坂田監督:最初はナレーションを入れるかどうかも決めていなかったんですが、構成上どうしても内容が伝わりづらい部分があったので入れることにしたんです。映画やドラマ、CMなど色々なところで遠藤さんの声を聞いてかっこいいなと思っていたので、ナレーションを入れるとしたら絶対に遠藤さんにお願いしたいと考えていました。
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撮影が終わったのが2019年の6月頃と言うことですが、編集はいつ頃から始められたのでしょうか?
坂田監督:撮影と並行して編集をしていました。髙田川部屋の撮影が始まる頃には境川部屋のパートは編集がほぼ終わっていました。そうすることで、後半で必要なシーンは何かと言うことが明確になりました。
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早いですね!そうすると完成は何月だったのですか?
坂田監督:2019年の7月か8月頃だったと思います。8月には日本相撲協会に映画を観ていただいたと思います。ナレーションやエンドロールも含め、完パケしたのは2020年の8月でした。
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制作過程でTVの経験があって良かったと思うことはどんなところでしょうか?
坂田監督:TVの人気番組を作っている人たちは視聴者がどう観るか、という目線で番組作りをするんです。だから自己満足な部分というのはないんです。自分の伝えたいことと視聴者が観たいものが必ずしもイコールにはならないと思っています。その感覚は他の映画監督とは違う感覚なのかなと思って作っています。
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ここだけは譲れないといったことや、ブレずに大切にしていたことはありますか?
坂田監督:やはり最初に決めたコンセプトですね。撮りたかった映像がNGになったりもしましたが、そこでTVで培った感覚が役に立ちました。出来ることと出来ないことがあるので、可能なことや状況に応じて対応していく瞬発力。困難もチャンスと思って臨みました。
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撮影中に大変だったことはありましたか?
坂田監督:力士の方の迷惑にならないように撮影するというのはやはり大変でした。あまりカメラを移動して撮影してしまうと、力士の方の気が散ってしまうので、基本的に固定カメラで撮影していました。動くタイミングとかも様子を見ていましたね。それと、僕たちが密着をすることで、心理的に負担をかけて本場所の結果に影響してしまったら…という怖さは感じていました。
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最後に、この時代に公開する意義はどんなことでしょうか?
坂田監督:本来であればこれまで生で感じることの出来た国技館の大歓声や興奮を、映画館の大きなスクリーンで体感してもらえることは、このタイミングでの公開にも大きな意義があると思っています。